INTERVIEWインタビュー
第3回のインタビューは、アーティスト淺井裕介さんです。
マスキングテープに耐水性マーカーで植物を描く「マスキングプラント」をはじめ、
現地の土で描く「泥絵」や道路用白線素材で作る「地上絵」のシリーズなど、
場に合わせた異なる素材を用いて独自の世界観で全国の芸術祭、
美術館などに出展し、人々を魅了し続けるアーティストです。
現在、mt art projectにも参加いただいている淺井さんに、
マスキングテープでアートを描くようになられたきっかけや想いを、
会場のひとつである牛窓テレモークにて伺いました。
- 淺井 裕介 プロフィール
- 1981年東京生まれ。マスキングテープに耐水性マーカーで描く「マスキングプラント」シリーズなど、
条件の異なるいかなる場所においても自由奔放に絵画を制作。淺井の描く根源的なモチーフは、画面に隙間なく併置され、
大きな生き物の中に入れ子状に小さな動植物が現れるなど、この宇宙の生態系を表すようである。
1. マスキングプラントとは?
- アトリエを外に持ち出すこと。
「マスキングプラント」は大きな変化でした。 - 僕は描くのが速いから絵がだんだん増えていっていて
描けば描くほど部屋が埋まっていっちゃうんです。
絵を描くのは楽しいんだけど
空間が埋まっていくことはなんか楽しくなくて。
で、自転車でアトリエと家を往復しながら、ふと気付くんですよね。
この空間が全部アトリエになれば困らないんじゃないかなって。
そういう気持ちで街を見ると、いっぱいあるわけですよ、電信柱(笑)。
家からアトリエまでの電信柱の数を数えていると
なんかちょっと楽しくなってきて。
普段画材として持ち歩いているマスキングテープが鞄の中に入っていて
これを間にかませば、ここはきっとアトリエになると。
悪いことやイタズラがしたいというよりは、
そこに描いてみたいという気持ちをマスキングテープが満たしていった。
それが始まりで、描いては剥がしの繰り返しで今の形になりました。
描く場所があって、そこで描いたものを見せる場所で見せる、と思っていたことが、
描く場所と見せる場所が一緒だし、
そもそも見せる場所ですらない場所も、見せる場所に出来るという意味で、
マスキングテープは非常に強いツールだと感じています。
- 自分がつくりたいものをつくるのではなく
集まった人やつくる場所に動かされている感覚。 - 自分に限らずものを作る作家というのは良くも悪くも
描けば描くほど技術が身に付いてきちゃって
気がついたらルーティン化しちゃう。
それを打開するためというわけではないですけど
必然的に作品や与えられる空間が大きくなっていきました。
でも使える時間は短くなってきたという時に
人に手伝ってもらうようになって。
今回牛窓でやっているmt art projectの作品もそうだけど、
人の作品に手を入れるってやっぱり緊張するし、ドキドキする。
本当にやっていいのかなって。
その緊張やドキドキが、自分の絵の中に入ってくることで新鮮さを共有できる。
自分のコントロールの効かない線が
たくさん入ってくることで得るものは大きいですね。
やっぱり一緒にやるからには楽しんでやってもらいたいから
僕も一生懸命説明するじゃないですか。
説明すると一人だったら言語化しなくてもいい
自分が何をやってるのかということを言葉にしないといけない。
そうすると自分でも分かってなかったことに気がつく。
僕の所に手伝いに来る人は美術教育、技術は必要ないと言っているので
子どもとか地元のおばちゃんとか、全然美術に興味が無い人と
会話することによって得られるものも大きい。
2. マスキングテープで描くこと
- やった分だけ育つから、どんどんやっちゃう。
生き物を育てている感覚なんです。 - マスキングテープは自分の強い味方ですね。
どの場所に行ってもマスキングテープが使えない場所はほとんどない。
テープっていうものは、そのままだとテープじゃなくて
それをどこにどう貼るか、貼って初めてテープになる。
そういう意味でテープを使う作家たちは
環境を読み解いていく力、植物的な思考能力があるような気がします。
動物は自分の好きな環境に移動していけばいいけど
植物ってそこでどう育つかということに命をかけている。
無理だなと思ったらそもそも芽は出さないし。
テープを使う作家たちは、空間を読み解く能力が必要とされると思うんです。
作品とか所作というか雰囲気とかを見ていると
やっぱりそうだと今回感じました。 - 植物的な思考方法は、これからの時代は大事な気がします。
今までは自分で環境をつくり変えるんだという感じだったけど、
環境に合わせてそこでどうのびのび楽しくやるか、
そういう作家を集めて可視化することで見えてくることがあると思います。
そういった意味でこのプロジェクトもとても意味のあるものですが
やっておしまい、じゃなくて、この人たちはどういう人たちなんだろうと
考えていける機会にしていけると、より奥行きが出る気がします。